愛媛のスーパーで、ごく普通に売られているものがある。
松山あげ。
味噌汁に入れたり、煮物に使ったり。
愛媛で暮らしていると昔から目にするので、特に疑問を持ったこともなかった。
でも、改めて考えてみる。
普通の油揚げって、豆腐売り場の冷蔵コーナーに置いてある。
ところが松山あげは――
普通に常温で置いてある。
しかも名前には堂々と「松山」。
なんで油揚げなのに常温で大丈夫なのか。
そもそも何が「松山」なのか。
身近すぎて考えたことがなかった「松山あげ」について、改めて調べてみた。
そもそも普通の油揚げと何が違う?
まず気になるのがこれ。
松山あげも、原料は大豆と植物油など。
ちゃんと油揚げである。
ただし、作り方が普通の油揚げとはかなり違う。
製造元の程野商店によると、豆腐を約3mmという薄さにスライスし、ギリギリまで圧縮して水分を取り除き、菜種油で丁寧に揚げる。
とにかく水分が少ない。
そのため、袋から出した状態ではパリッとしている。
そして驚くのが保存期間。
一般的な油揚げが冷蔵保存なのに対して、松山あげは常温で90日程度保存できる。
さらに油抜きも不要。
そのまま手で割って味噌汁などに入れられる。
なるほど。
だからスーパーで普通に常温の棚にいたのか。
ずっと見てきた光景なのに、ちゃんと理由があった。
パリパリなのに、汁に入れると変わる
松山あげの面白いところは、乾いた状態と料理に入れた後で食感が大きく変わるところ。
袋から出した状態ではサクサク、パリパリ。
ところが味噌汁や煮物に入れると、汁を吸い込む。
程野商店では、油揚げを「旨味を蓄えておくスポンジ」のようなものと説明しており、松山あげは汁を含むことで弾力のある食感になるという。
愛媛県民には普通の食べ物だけれど、改めて特徴を並べると、
常温保存できる。
油抜き不要。
手で割れる。
汁を吸わせると食感が変わる。
なかなか特殊な油揚げである。

昔から「松山あげ」と呼ばれていたわけではない
では、いつから松山あげがあるのだろう。
調べてみると、意外なことが分かった。
昔は、
「干油あげ」
と呼ばれていた。
程野商店によると、この干油あげがいつ、なぜ作られるようになったのかは、はっきり分かっていない。
ただ、松山では明治初期にはすでに作られていたという。
程野商店の創業は明治15年、1882年。
初代の程野兵次郎と妻のサトが、松山の萱町で製造と卸の店を構えた。
サトの実家である唐人町の川田商店でも干油あげを製造しており、船舶向けなどに卸していたという。
つまり、「松山あげ」という名前よりも先に、
松山には独特の保存性を持った油揚げ文化があった。
軍隊でも食べられていた
水分が少ない。
日持ちする。
軽い。
今なら「保存食品として優秀だな」で終わる話だが、この特徴は昔から役に立っていた。
程野商店の記録によると、干油あげは軍隊の物資としても利用されたという。
味噌汁や煮物などに入れて食べられていたそうで、使い方は現在とそれほど変わらない。
考えてみれば合理的だ。
冷蔵設備が十分ではなかった時代に、保存が利いて、運びやすく、汁物に放り込める。
普段スーパーで何気なく買っている松山あげが、急に「昔の保存食」に見えてきた。
JRが松山まで来ると、松山の外へ
さらに昭和2年、1927年。
国鉄が松山まで開通する。
程野商店の二代目は、これをきっかけに干油あげを伊予の名産として売り出していった。
九州や中国地方にも販路を広げ、西日本へと広がっていったという。
戦後には製造を再開し、昭和28年(1953年)には大阪の学校給食にも採用された。
そして、ここでようやく現在の名前が登場する。
「松山あげ」になったのは1964年
ずっと昔から「松山あげ」という名前だったのかと思ったら、そうではなかった。
命名されたのは、
昭和39年、1964年。
理由はシンプル。
「干油あげ」だと、干して作ったものと勘違いされるから。
そこで程野商店の三代目が、松山の特産品であることを印象付ける意味も込め、
「松山あげ」
と名付けた。
つまり、
食品そのものの歴史 > 「松山あげ」という名前の歴史
なのである。
普段あまりにも自然に「松山あげ」と呼んでいるので、これはちょっと意外だった。
そして熊本へ行くと、よく似た「あげ」がある
松山あげについて調べていると、さらに面白いものにたどり着いた。
熊本県の**「南関あげ」**である。
南関あげも一般的な油揚げより水分が少なく、パリパリしていて、常温で2~3か月ほど保存できる伝統食品。
……松山あげにかなり似ている。
そして農林水産省の「にっぽん伝統食図鑑」には、非常に興味深い伝承が掲載されている。
島原の乱の後、人口が減少した地域へ伊予松山地方の人々が移住し、その際に油揚げの製法が伝わったといわれているという。
さらに農林水産省も、現在の四国に同様の油揚げが「松山あげ」として残っていることを紹介している。
もし、この伝承がそのまま松山あげのルーツにつながるのなら――
話は江戸時代まで遡ることになる。
ただし、ここは慎重に考えたい。
程野商店自身も、干油あげがいつ、なぜ作られ始めたのかは分からないとしている。
そのため、
「現在の松山あげが江戸時代から存在した」
とまでは断定できない。
それでも、熊本に残るよく似た食品の由来を追ったら、伊予松山の名前が出てきた。
これはなかなか面白い。
今、松山で作っているのは一社だけ
かつては松山郊外の農家などでも干油あげが作られていたという。
しかし現在、程野商店によれば、松山で「松山あげ」を製造しているのは程野商店だけ。
しかも、生産量の約8割は県外へ出荷されているという。
愛媛のローカル食品というイメージが強いが、実際にはかなり県外へ旅立っているらしい。
現在も大判、小判、きざみ、糸切りなどさまざまな形で販売されている。
そして今度は「いなり寿司」に
んな松山あげには、現在、新しい展開も生まれている。
その一つが、いなり寿司のテイクアウト専門店、
「いなりや成」
である。
実は筆者も以前、いなりや成を訪れて、いなり寿司を食べたことがある。
そのときは純粋に「いなり寿司のお店」として訪れていた。
まさか後になって、松山あげの歴史をここまで調べることになるとは思っていなかった。
明治から続いてきた松山の油揚げが、現在はいなり寿司という新しい形でも食べられている。
昔からあるものを、そのまま残すだけではない。


昔からある松山あげを使って、また新しいものを作る。
長い歴史を調べた後に見ると、「いなりや成」もちょっと違って見えてくる。
ちなみに、以前訪れたときの様子やいなり寿司については、こちらの記事で詳しく紹介している。
ただの油揚げだと思っていた
愛媛のスーパーでは、あまりにも普通に置かれている松山あげ。
だから今まで深く考えたこともなかった。
でも調べてみると、
明治初期にはすでに松山で干油あげが作られていた。
1882年に程野商店が創業。
船舶向けに扱われ、軍隊でも利用され、国鉄の開通とともに県外へ広がり、大阪の学校給食にも採用された。
1964年には「松山あげ」という名前が生まれた。
さらに熊本の南関あげには、伊予松山から製法が伝わったという、もっと古い伝承まで残っている。
そして現在も、新しい食べ方が生まれている。
油揚げなのに常温で置いてある。
そんな小さな疑問から調べ始めたら、思ったよりずっと長い話になった。
次にスーパーで松山あげを見かけたら、
「なんでこれ常温なんだろう」
ではなく、
「お前、結構いろいろあったんだな」
と思ってしまいそうだ。


この話を知っていますか?